カビエデスは相手DFを軽々とかわしたり、ワントラップからバイシクルシュートを簡単に決めるなど、テクニックとルックスは折り紙つきの万能FWだが、調子の波が激しいのがマイナスポイントである。
母国エメレクで1シーズン43ゴール(39試合)を挙げ、中田英寿所属するペルージャに移籍したのは98年。若干21歳でエクアドル初のセリエAプレーヤーとなった。だが、若手が簡単に活躍できるほどイタリアのサッカーは甘くなく、4ゴールを挙げたのみでセルタに移籍。その後はパッとした成績を残せず各クラブを転々とする。
代表での活躍は目覚しく、01年の南米予選ウルグアイ戦では母国をW杯に初めて導く貴重な同点弾を決めた。06ドイツW杯ではコスタリカ戦で華麗ボレーシュートを決めた後、オティを追悼するパフォーマンスを行った。
彼がクラブチームで思うような成績を残せないのには精神面に大きな理由がある。彼は幼少時、両親が交通事故で死去し祖父母に育てられた。そのことがきっかけだったのか、内気な性格であり、鬱病にもなったりした。セルタ解雇の理由は練習のサボりであるという。
また、ギリシャとスペインの血を受け継ぐ彼はセルタ時代にスペインとの国籍も取得している。 愛称は「NINE(ニーネ)」。ペルージャ時代は背ネームにもしていた。
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