長髪を靡かせ、ファンタジックなプレーを展開する超一流のゲームメイカー。彼の両足から繰り出される正確無比のパスやフリーキックはまさしく芸術品。
デポルティボ・キトで頭角を現し、89年、以後10年以上在籍することとなるメキシコのネカサに移籍する。この時レアル・マドリーなどの欧州強豪クラブが触手を伸ばしていたが、コンタクトが遅れたため欧州行きはお蔵入りとなってしまった。 ネカサではキャプテンとして世界クラブ選手権などで活躍し、世界的な名声を得た。
だが、代表キャリアは苦難の連続だった。19歳で代表初召集されるシンデレラボーイだったが、代表が弱小なため、それ以後はアギナガが一人で代表を牽引しなければならなかった。この状況が転機を迎えたのは日韓W杯予選だった。今までは彼に依存しきっていたエクアドルだったが、彼がスタミナの面からフル出場が困難になると、逆に結束力が生まれ、快進撃を続けた。数年前では考えられないことだった。彼はもう自分の役割は終わったと気づいていたかもしれない。しかし、彼には代表をここまで引き上げたという自負があった。日韓W杯出場は今まで代表で辛酸をなめ続けてきた彼への最後の大きなご褒美でだったかもしれない。
その後、コスタリカとの親善試合で代表100キャップをマーク。そして、彼は04年のコパ・アメリカを最後に代表人生に、2005年にはサッカー人生に終止符を打った。
しかし彼のキャプテンシーがエクアドル国民の心から消えることは永遠に無いだろう。
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